top of page
  • 執筆者の写真Aya

愛のない人など ひとりもいない

星を読んでて思うのは 

すべての人がひとりとて 

同じ人はいないということである





そして、ひとりひとりの表現は違えど 

全体として 同じ方向へ向かい続けている のだなぁという世界をみることができる


どんどん星をみて、人をみて 自分の内側に感じるものが

外の出来事や 人々と呼応していることを経験でわかってくるのだ



 

同じ時代に生まれて 

その人の 何かを表現しつつづけて 



要らない人も、要らないことも 

間違いも何もなく


ほんとうの正しさもなければ 

その人が 受けた役割のようなものもあったり


 

一人一人が、みている世界、感じている中にいるようで

全体の中で感じたことを 私はこれだ!と発露してる 







私たちは肉体という乗り物に乗っている

それを美しい美しくない

歪んでる 小さい 大きい などなど

判断しては 乗り物がいかにすごいか すごくないかなど言ったりもする


決してそれが悪い訳ではないけれど

その乗り物を動かす 魂のようなものがあるということ



肉体は 感覚を伴い、感情を発露し

生きてきた中で 何を大切にして 

何かに出会うと 違いに悩んだり  


相手の想いや肉体が一体化する安心こそ愛だと 

苦しんだり、傷ついたり 喜びを感じたりする 



そう考えれば、なんて人って愛おしい生き物だと思うのだし




それとは違う視点でみることが

いわゆる悟りの意識なのだと思う



悟りとは

感情を感じなくなり 分離するのではなく

ただある自分であろうと、思い込んでいるものにとらわれ過ぎず

全体を眺められること





面白いことに

占星術には その知恵が入っている


ただ、感じていくというものが難しい時に

物語として

エッセンスとして

あらゆる概念が凝縮して入っている



エレメント、12サインの死生観、天体という元型論と意識の成長

そして 自分と今の流れとの調和

他者と自分の投影から統合に向かうステップ


全てをつうじて 私は私にしかなれないということもわかる






星を読んでくと 

ただただ違えど、 

愛のない人なんてひとりもいなくて



歪んだり 

まっすぐだったりさえも  

それさえも必要だったからそうなっている過程があったと気づく



意識をして

私に夢中になったり

我を忘れるくらい、これが私だと 

思い込んでしまいすぎたり 


はたまた時代や環境や誰かのためなど

全体の中で 私を活かすこともある




けれども、そうやっていくうちに 

自分に出会って


すべては私であって

今私だと思っているものなどないということに気づく







あなたの悩みは

周りの誰かのものでもある


時代のものかもしれない

環境のものかもしれない

性別、母親、女、この年齢だから、役割などのものかもしれない


もしかしたら、集合意識にある

何かを癒そうとして必死になるのかもしれない


家系的なもの

カルマのようなもの

そこは すべてではないし あなた自身ではない

あなたがそれをつうじて 何を取り出すかみつけるまで 続いていく






そうやって、その人というフィルターをとおして

出たものが 誰かの為になったり 考える機会を与えたりする



全体は よくなる方向へ 

みんなで歩んでるんだなと 

わかってくると 





安心の中で思い切り 

自分であったりなかったりできる



インナーチャイルドを癒す

母性を育む

母を赦す

母と離れた個である


そして私の中に 安心を育む



このステップが出てくると

地球にもゆりかごを感じるんじゃないかと思う



魂が乗っているのが身体ならば

全体の魂を乗せているのが地球のような





私でないあなたは 

私ができないことを担当してる  


そうわかれば、私は私であればいい 

私は私にしかなれないが 

分離の分かり合えない悲しみではなく力みもせず 生きられるのだ  

0件のコメント
bottom of page