人というのはこういう仕組みになっているのね
時代は違えど、変わらないベースがある
そういうことを知るためにスピリチュアリティがある訳で
修行の後の悟りを得て 高尚な人間になるためでも
スピリチュアルを使って「ちょっといけてる私」になる訳でもなくて
より私を生きやすく
一瞬一瞬に、私を感じて
のびやかに、私っていいなと、毎日感じれるため
自分を大切に想える心のスペース、在り方ができると
今ある現実が思い切り変わってみえて、その在り方が周りへも響いていくため
特に女性である私が感じてきたのは
誰と比べての私という基準に翻弄される呪縛を解き放たないと
歳を重ねるごとに、呪いにかかり、嫉妬に捉われ、醜くなっていく
この身体に生まれて美味しく味わうように生きるのか
鞭打って、高みを目指して生きるのか
どちらを選ぶかと言われたら、それもこのみであるけれど
「私は私であること」を選ぶなと。
なにより、私というのは一瞬一瞬にあるから
変化していくもの、ずっとあるなんていうのは
時代遅れの何かをずっと着ているようなもので、息苦しい
そしてなにより、
女性であるということはちょっとばかり男性とは造りが違っていて
より内的なものを感じ取りやすいのよ
我慢して目標に向かって、その途中の自分に酔える男性とは違うものだから
その感性を、どこに使うかって
自己卑下や癒しばかりに使うなんてもったいない
罪悪感は社会が植えつけられた背景に会って
生まれながらの罪びとなんて一人もいないから
私が私であることに心にほんのりバラ色を持っていれば
なにより、ご機嫌で豊かに過ごせるというものではないかなという
奥深い私と繋がって生きたい人の為のスピリチュアリティ
毎分毎秒、私が私に出会って驚きと喜びに溢れる為の「生きる」
そういう意味では「生きている」ってすごいものでしょ?
神話や 形而上学 、 現象学
整理解剖学、自然科学、心理学・・・そしてスピリチュアリティ
全部繋がっていると気がついた時に
私達は多大なストーリーの中で、自分をさも生きているように
主導権を握っているようで、限りなく動物的・本能的なのだなと
驚いてはその魅力にずっと憑りつかれているよう
私は、ある時
「世の中で言われてる最もらしいこと」は
その時の時代、環境、背景によって人間のベースに基づいて
造られたものであって、いわゆる正しさなんて流行のようなもの
だから、それをうまく使いこなしたり
愉しんだりすることはあっても
それに悩んだり苦しんだりして
周りの評価やこうあるものという価値観」を疑わずに
本来の自分を自分がまず知らずに
相手の評価に委ねるなんて
つまらないわ、と思っている自分に出会ったこと
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普通なら、ネガティブな人は面倒、気を取られるなんて嫌悪されるけれど
私は、どうして人がそういう心理に陥るのか?
そのしくみは、その背景にはなにがあるの?
とう好奇心がずっとやまなかったから
スピリチュアルヒーラーなんて肩書きをいうけれど 一人の女性で
私を知って 生きやすくしてあげたいと思ってきたから
これを読んでいる人に何か響いてくれたら とおってきた道で感じたことが
何か役に立つかもしれない それだけで
ネガティブ ポジティブ
それはただの状態で、天気のようなもの
ただ、そこに溺れて「自分がさも残念だ」と判断しながら生きるのには
長生きする時代になってきちゃったでしょ?
細胞に問いかけるように内部で感じる「私」らしきものに
出会おうと、それを生きようとしている人は
いったいどんな生き方をしているのだろうか?
私は占星学やヒーラーとして、その人の非言語的なエネルギーを
感じ取り、そこから感じるものを話していく
そんな個人セッションをしているなかで
いわゆる”ありのまま”というのはいかにパワフルなのかということや
精神の世界を極めれば、現実の今の事実をしっかり歩むことは
いかにパワフルで、創造的かってことに逆説的に気づいてしまうもの
けれども、中には、”ありのまま”に幾重にも覆うように
「私は私が描く理想のでなければ愛されない」という、
信念を纏っていたりすることもあって
そして、それを認めてくれる人の場所を彷徨い、求め、評価を
得られる自分になってしまったりすることさえもある
それは誰にでもそういう時があって毛布を纏うことは
怖いからだ
今までの人との繋がりから得たものは「愛」であって
それを捨てたら、いけないと思っていることや
ありのままの自分では愛されないと傷つくのを恐れているから
細胞に今ではない信念のビジョンを「私」に見せ続けてしまっている。
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愛なんて言葉に出せば出すほど、本質から離れていくようで
人は愛されるために生まれてきているし
こんなに手間がかかる生き物は地球上に他にあるだろうか?なんて考える
その人が幸せかどうかの基準は他人が決めることではなくて
その人が選ぶものというのもわかって上でやはり思うのは
生きづらい人は文字通り「息づらく」
未来へ「行きづらい」
そういう人たちにとって本来のありのままの私ではないものは
まるでライナスの毛布を引き離されるのを怖がるように
その先をみなかったりすることもある。
信念の奥には、ただの私がいる
ただの私はとてもシンプルで、力が抜けていて
誰とも比べず、いつ片時も離れず、あなたを感じている
スピリチュアルを知識として学ぶのも楽しい
けれども、もっと奥深くにある私や
相手にも同じ奥深くに豊かなバラ色の柔らかさがあると気づくと
もっと、どんな人も
「あなたの生き方のスタイル、面白いね」と思えるのだ。
まずは、私の奥を感じることから
その感じ方は 思考とは全く違って、直感とも違うもの
あなたの内側を照らすことで
「何を感じ、何を求め、私はどこへ行きたいかを知る」
10月11月一般募集開始
限定でのセッションです ご予約の際に日時は応相談になります。
https://ameblo.jp/hanakyoku/entry-12300235016.html
1回のセッションで私を知るよりも
私をより感じることを深めていく そんな方へは 数回のコースもご用意中
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